イノベーションの世界的な中心地はどこかと聞かれて、米シリコンバレーが浮かばない人は少ないだろう。欧州、中国、イスラエルなど、世界各地にシリコンバレーを模したイノベーションハブを構築する動きが盛んだが、革新の聖地は今も輝きを失わない。世界最高峰の人材が集積するこの地で30年近くに渡ってビジネスを続けてきたのが、コンサルタントの校條浩氏。次々と変化するシリコンバレーの技術トレンドを吸収しながら、日本企業との橋渡し役を担ってきた。シリコンバレーの重鎮には、現在の世界経済の動向や技術の変化はどう見えているのか、Future Society 22が聞く。
ーー校條さんは、1991年にシリコンバレーに渡り、長年コンサルティング会社やVCなどでスタートアップ投資や日本の大企業とスタートアップの橋渡し、大企業トップへのアドバイスなどの仕事などをされています。1990年代から30年間シリコンバレーの変遷を生き抜いてきた生き字引の方だと思っています。そこで、今日は米国シリコンバレーから見える未来社会の行方について伺えればと思っています。
昨今の米中関係の対立を見るにつけ、グローバル化が逆回転している印象を拭えません。ドナルド・トランプ米大統領は「アメリカファースト」を掲げて経済圏を北米中心に移行させ、中国も対抗する形で独自の経済圏作りに励んでいます。既に貿易摩擦は激化していますが、経済のブロック化、そしてゆるかな”帝国化”への流れが避けられないようにも思えます。こうした状況は、シリコンバレーからどう見えていますか?
校條 私の勝手な思い込みですけれど、一過性の現象ではないかと見ています。確かにグローバル化が進んだ結果、世界規模で格差の問題が取り沙汰されるようになりました。成功者とそうではない人の差が広がって、国民の不満が高まり、自国第一を掲げる指導者が支持を集める。アメリカだけでなく、欧州でもこうした動きが見られます。さらに情報技術が発 達した結果、不満の声が誰にも見えるようになりました。こうした状況が、より対立に拍車をかけていて、反グローバリズムといった活動に映るのだと思います。
ただ、グローバル化はもはや政治家が人為的に止められるような流れではないと思います。世界各地にあまりにも深く入り込み過ぎているからです。例えば、私が拠点を置く米西海岸では、単純に「中国はけしからん」なんて言ってられない状況があります。スタンフォード地区に住み、地元の高校に通う高校生の半分以上はアジア人であり、多くは中国人です。経済が彼らで回っているんですね。学校だけでなく、企業も似た状況で、もはやそれを否定することは不可能に近い。こんな状況で中国を排斥せよと訴えても、土台無理な話だと相手にされません。
確かに、メディアは盛んに米中の対立を喧伝します。しかし、シリコンバレーに関して言えば、この手の問題に乗って何かを主張する人は少ないと思います。というより、誰も興味を持っていません。そんな時間があるんだったら、目の前にある仕事に時間を割きますし、「早く自分が成功したい」という人が圧倒的に多いと思いますね。
校條 浩
NSVウルフ・キャピタル・マネージングパートナー
小西六写真工業(現コニカミノルタ)にて写真フィルムの開発に従事。その後MITマイクロシステムズ研究所、ボストン・コンサルティング・グループを経て、1991年にシリコンバレーに渡る。94年よりマッケンナ・グループのパートナーに就任。2002年にネットサービス・ベンチャーズを創業。2011年からは、先進VCに出資するNSVウルフ・キャピタルを立ち上げ、企業イノベーションを先導している。主な共著書に『ITの正体』『シリコンバレーの秘密』(インプレスR&D)、『日本的経営を忘れた日本企業へ』『成長を創造する経営』(ダイヤモンド社)。東京大学理学部卒業、同修士課程修了。米マサチューセッツ工科大学(MIT)工学修士。
ーーあまり、国際関係や周囲の状況に流される人は少ないと。
校條 こういう言い方がいいか分からないけど、シリコンバレーの人はあまり高邁な考えで生きていないですよ(笑)。
基本的に人為的、政治的な施策には大反対なんです。政治のあるべき論よりも、本当に自分が正しいと思ったことをやりたい。そうすればユーザーに支持されるし結果が出る、という信念の人は多いと思います。
米中の競争も、互いに実力で勝負がつけば受け入れるでしょうけど、法律で規制して排除するといった考えには反対の人が多いですよ。権威にすがって物事を動かすことをよしとしない人が多いかも知れません。
それは、普段の働き方にも現れています。相手の肩書きが立派だからという理由だけで喜んで仕事をする人は少ないですね。最近、私の娘が創業したばかりのスタートアップに入社したのですが、その創業者は宇宙船開発のスペースXをイーロン・マスクと共に創業したメンバーの1人だったんです。でも、娘の感覚は「普通のおじさん」と言う感じです(笑)。相手が有名でも、どうってことないというか。どんな偉い人でも、気に入らなければ仕事は断ったりすることもあります。
ーーあくまでも、その人自身の価値に重きを置く感覚が根付いているんですね。
校條 繰り返しになりますが、ここにいる人は、自分が成功すればそれでいいので。シリコンバレーがすごいとか、シリコンバレーを守ろうという考えの人は少ないと思いますね。
1990年代からいまのデジタル社会のイメージがあった
ーーそうした人を中心に考えるシリコンバレーのDNAのようなものは、昔から変わっていないのでしょうか?
校條 変わってないかも知れないですね。私自身は、1978年に日本で写真フイルムメーカーの小西六工業(現コニカミノルタ)にエンジニアとして入社しました。その後留学、コンサルティング会社に勤め、91年にシリコンバレーに移りました。そして、94年にレジスマッケンナというハイテクに特化したコンサルティング会社から声がかかり、日本企業対象のコンサルティング部門を立ち上げました。
シリコンバレーのスタートアップ企業や投資家から得たインサイトを元に、日本の大企業のために事業革新の基本戦略や新事業創造のビジョンをコンサルティングする、というのが主な役割だったのですが、今に続くデジタル化構想のようなものは、既に1994年くらいから議論されていましたね。
その時から「世の中はこう変わっていく、人の生活はこうなる」といったビジョンを訴える人や会社が周りに沢山いました。曰く、デジタル化が進むと膨大な量のデータを活用できるようになり、アナログでは表現できなかったことが表現できるようになると。消費者とのタッチポイントも多く生まれて、色々な情報が取得できて消費者との双方向のコミュニケーションが可能となる。それもリアルタイムにです。消費者の行動はどんどん可視化されていき、こうした反応にリアルタイムで対応できない会社は衰退していく、といった話が当時交わされていました。
ーー私自身が新卒で日本銀行に入行したのが1995年です。当時日本は不良債権処理で大騒ぎでしたが、既にそんな議論になっていたんですね。
校條 当時は多くの日本企業にコンサルティングをしていたので、日本の通信会社さんやエレクトロニクスメーカーさんにもこうした話はかなりしましたよ。クライアント企業の経営トップは真面目に聞いてくれたのですが、当時は何も行動できなかったですね。その他の多くの企業にも講演などで説明しましたが、反応はというと…。「へー、面白いね」とポカンと口をあけている感じでした。何か、遠い星で起きている出来事のような。まあ、大半の米企業も似たような反応だったのですが。
ただ、ここからの世の中の動きは早かったですね。インターネットが商用化され、90年代後半から流れが一気に加速してました。当時、(レジスマッケンナ創業者の)レジスも「これは、すごいことになるぞ」と興奮していたことをよく覚えています。世の中が全部ひっくり返る、みたいなことを繰り返し話していました。
私自身、MITに留学していた時に、インターネットの技術自体は知っていました。だけど、知っているだけだった。要するに、技術しか見ていなくて、社会の仕組みがこれで完全に変わるという発想には至らなかったんですね。理解するのに数カ月かかったと思います。
ここからですね、「リアルタイムパラダイム」の話が急激に現実になっていくのは。この時点で、今現在実現されているサービスの構想は大体描かれていたと思います。例えば、テレビというものが実質的になくなり、みんなインターネット経由でコンテンツを見るとか。そんなビジョンが至るところで披露され、それを実現しようとする起業家が次々と登場しました。
ドットコムバブルが崩壊してから、米国投資家の行動が変わった
ーー2000年前後ですね。ただ、この時期一旦シリコンバレーは大きく沈みます。
校條 ドットコムバブルの崩壊です。当時は、社名に「.com」をつければ株価が上がる、お祭り騒ぎの時代でした。そのバブルが弾けて、景気が一気に後退したのが2000年、2001年頃でした。私が働いていたレジスマッケンナもそのあおりを受けて、結局解散してしまいました。
私はというと、そこから仲間とコンサルティング会社を興しました。その時、ただのコンサルティングでは面白くないので、自己資金を投じたスタートアップ育成も手がけようと考えました。オフィスの隣の小さな建物を借り切って、3社くらい囲い込んで、面倒を見ることにしたんです。今で言う、インキュベーションですね。
ーーこれ以降、現在のプラットフォーマーであるネット企業が段々と表舞台に台頭してくることになります。この時期から、シリコンバレーでは従来にない考え方や行動が生まれてきます。例えば、投資のスキームです。ベンチャーキャピタルが赤字を出しているスタートアップに大金を突っ込むといった行為が常態化するようになりました。赤字企業に1000億円単位の投資をするという発想は、従来はなかったと思うのですが…。なぜこうした行為が正当化されるようになったのですか?
校條 投資に関して言えば、色々な要素があったと思うんですけど、振り返れば投資家の見えている世界観の違いがあったのかも知れないですね。例えば、Googleを単なる検索エンジンの会社と見るか、プラットフォーム企業と見るか。
実は私の失敗談でもあって、Google が社員100人ぐらいの時に、一度コンタクトがあったんです。ただ、私はNTTと付き合いがあって、当時NTTが展開していた「Goo」という検索エンジンをよく知っていました。だから、Googleと接触した時も、単なる検索エンジンの会社だと勘違いしてしまった。「別にサーチエンジンなら日本にもいいのがあるよ」と。今なら赤面してしまうセリフですけど(笑)。
しかし、結果的にgooはサーチエンジンだったけど、Googleはプラットフォームに成長していったわけですね。それが見えている世界観の違いということです。
ーーGoogleもいきなりプラットフォームになったわけではなくて、最初は広告事業で伸びたんですよね。
校條 そうですね。ネットと広告の関係について言えば、米国は早くから立ち上がりましたね。そもそも、ネット以前から米国では科学的に顧客のデータを集めてターゲティング精度を上げたりする試行錯誤がずっと続けられていました。
そこにGoogleが登場して、検索結果に広告をつけるといった仕組みが生まれた。それが、Googleのプラットフォーマーへの原動力となるわけですが、土台となる広告ビジネスの基盤がある程度掘り起こされていたという背景が、先程の世界観を測る上で大切だったんでしょう。
ですから、単なるサーチエンジンだと思っていた人はホントに浅はかで(笑)。私は本当にそこまで読み切れていなかった。もちろん Googleも、最初からプラットフォーマーを目指していたわけではなくて、事業を試行錯誤する中でそういう方向に進んで行った可能性もあります。
ーーそこからGoogleだけでなくFacebookが登場し、Appleもハードからソフトへと事業を転換していきます。これにAmazonも加わり、次第にプラットフォーマーという概念が広がってくるわけですが、彼らがプラットフォーマーに君臨する決定的な瞬間というのはあったのですか?
校條 これも、私の感覚では気がついたらそうなっていたという感じですよね。
環境面でいくつかの条件がそろったということは言えるかも知れません。テクノロジーで言えば、2010年頃から登場したクラウドの普及です。それまで、スタートアップを興すには最低100万ドルは必要だと言われていました。大半がハードウエアへの投資です。ワークステーションを揃えないと、そもそもアプリケーションが開発できなかったのですが、クラウドサービスの登場でコストが20分の1とか50分の1くらいになったわけです。起業のハードルは著しく下がりました。
さらに、リーンスタートアップのような考え方が広がってきて、プロトタイピングをしながら、PDCAサイクルを回してピボットし、スピード重視でサービスを展開する起業手法が浸透しました。同じ時期に、スタートアップを短時間でインキュベーションし、創業資金も提供するアクセラレーターと呼ばれる新しい形のベンチャーキャピタルが登場しました。
ーー校條さんが設立した「Net Service Ventures Group」も2011年ですね。
こうした土壌から、SaaS型のスタートアップがいろいろ誕生して、ある種の経済圏が出来上がっていった。それらが基盤としているのが、いわゆるGAFAであり、結果として彼らがプラットフォーム化していったのではないでしょうか。
シリコンバレーはみんなの心の中にある場所
ーー一連の流れの中で、ネット企業以外の製造業の動きについてはどう見ていますか?GEはその象徴的な存在のように思います。2011年にいわゆる「インダストリアル・インターネット」構想を明らかにして、総額で1兆円くらいは投じたのでしょうか。自社の強みとする産業装置やヘルスケア、電力を次々とデジタル化しようとしました。結果的にはプラットフォーマーとして君臨するには至りませんでした。
校條 そうですね。当時は、プラットフォームと言ってもITが中心で、一般の産業まではまだだろうと、いう記憶だったと思います。シリコンバレーでは、GEの当時のCEOだったジェフ・イメルトの話は誰も議論していなかったし、興味もなかったですね。基本的には、これは絶対に来るというものはITがまだまだ中心だったし、一般産業との関わりはまだ薄かったですよね。
ーーその後、いわゆるGAFAは世界に影響力を広げていきますが、2014年ころから米国以外でシリコンバレーのエコシステムを取り入れようとする機運が高まっていきます。深圳、イスラエル、ロンドン、そして日本でも、〇〇版シリコンバレーを掲げる動きが広がってきました。実際、こうした動きはどう受け止めているんですか?
校條 これも、繰り返しになってしまうけれど、ここで働いている人は誰も気にしてないと思いますよ。世界の色々な場所で、イノベーティブな人が集まるハブは出てくるだろうし、中にはシリコンバレーに近い場所もあるのかも知れません。ただ、それを意識して働いている人はここにはほとんどいません。相変わらずここはスーパーハブになっているという認識は強いかも知れないですけれど。
では、シリコンバレーで働いている人にここをはどんな存在だと思っているのか。
前述したレジスが言っていたのは、シリコンバレーの価値の本質は「場所」ではないと言うんですね。それは「State of Mind」、つまり、考え方でありマインドセットだと。みんなのシリコンバレーは、心の中にあるんです。
現地の教育や生活を通じて連綿と受け継がれてきた、プラグマティズム(実利主義)的な考え方と言えばいいでしょうか。「ユーザーがついてくるようないいものを作るのが善」という考えだったり、肩書きや政治に左右されない発想だったり。イデオロギーよりもプラグマティズムが大事だというのが様々な考え方に染み付いているんですね。
決して、親や先生から何かを教えてもらうわけではないんです。でも、環境が人を作ると言いますけど、周囲がそういう考えをして行動すると、次第に自分も影響を受けていきます。その結果、世の中が「あっ」というサービスをティーンエイジャーが作って、大成功したりするといったことが起きる。すると、周辺に伝播していくんですよね。伝染していくと言っていいかも知れない。
だから、シリコンバレーという場所は、プラグマティズム的なマインドセットを持つ「三密」地帯なんでしょうね。
若い世代が創る未来
ただ、そう言いつつもシリコンバレーも変化はしています。特に、最近の若い世代は地球環境や社会貢献に関心を持つ人が増えています。いわゆる「SDGs」や「ESG」につながるような活動や起業を考える人が多いですね。
私の感覚で言えば、シリコンバレーでESGなんて、とても恥ずかしくて言えなかったですよ(笑)。青臭すぎて、本当か?と笑われそうな雰囲気。たけど、今はだいぶ変わっています。
でも、これもプラグマティックな考え方から来ているんですよね。従来は、社会全体がどうなるかなんて考えなくても、自分が正しいと思うことをやってさえいればよかった。しかし、今はそれで突き進むと、本当に地球が破壊されてしまうかも知れない。大人たちは逃げ切れるけど、私たちは無理。だから、長期的にサステナビリティを考える必要があると。
冒頭の米中の対立の話に戻すと、私は少なくもシリコンバレーのState of Mindが維持されている限りは心配ないと思っています。仮に今後も外国からどんどんシリコンバレーに人が押し寄せても、シリコンバレーのダイナミズムのようなものは維持されていくのではないか。それが、米中対立の余波は一過性に過ぎないと考える、最大の理由ですね。
ーー中国のエコシステムについていえば、四十年前までは共産主義と計画経済で大国を構想しましたがそれを果たせなかった。翻れば、当時は計画経済を実現するだけのマンパワーとブレインパワーが弱すぎただけ、という考えはできませんか。今、人工知能(AI)が広がり、デジタル技術とコンピューターパワーを使えば、案外機能していると見ることもできます。
校條 質問を聞いていてて、ふと、シリコンバレーと中国の相似性みたいなものはあるかも知れないと感じました。中国も、要するに政治に目をつけられてひどい目に遭う企業がいるかも知れないけど、それ以外の企業は自由にやって儲けさせてくれるじゃないですか。シリコンバレーも結局、ワシントンに目をつけられると、余計なことばかり押し付けられます。だから、規制が大嫌いなんです。
シリコンバレーの人は、自分たちがやりたいことをガンガンやって、成長できればいいと。だから、政府がどんなイデオロギーであろうと、それを保証してくれれば常にハッピーじゃないかなと。
より分かりやすく言えば、「儲かりまっか?」のマインドがあるかどうかなんですね。中国人の多くはそういうところあるので、うん、似てるかも知れないですね。
ーー翻って日本は、この「儲かりまっか?」精神が足りないとも言えますか。
校條 発想の違いはありますよね。日本では、自分がやりたいことを、人を押しのけてまでやるというのは合いません。全員がそれなりに生きていくという発想ですよね。
まあ、昔から変わらないですよ。今もシリコンバレーに来る日本人は大半が駐在で赴任して、3、4年して慣れて来るころには帰国しておしまい。”State of Mind”が心に根付く前にさようなら、です。そんなサイクルが何十年も続いています。米国のこれからの大きな流れに日本人が何か関わってくるっていう感覚はほとんどありません。少し影響を与えているといえば、日本のお家芸のゲームくらい。そこは、中国との決定的な違いですね。
ーー日本はどう変わっていけばいいでしょうか。
校條 やっぱりリーダーの存在が大切ではないでしょうか。
アラン・クラークという作家の『ロバたち』という第一次世界大戦を舞台にした作品があるのですが、リーダーシップの話なんですね。勇敢な兵隊、すなわちライオンがいっぱいいたんだけど、指揮官がダメだった(ロバだった)結果、多数の戦死者を出したと。日本にも山本五十六というライオンがいたが、東條英機というロバが見殺しにしてしまった。現場のマネジャーがライオンで、トップがロバというケースが少なくありません。リーダーが変わればもっと飛躍できる余地があるというのが私の考えです。
今の年配者は若い人の邪魔をしてはいけないと思います。私の世代は、ひとつの産業モデルで成長してきた強烈な成功体験が染み付いているので、変革の時代にはそぐわないからです。高齢者は若い人たちのサポート側に回るべきですよね。彼ら・彼女らが新しいことに次々とチャレンジして、失敗しそうになったらお年寄りがちゃんとバックアップする。少子高齢化の日本は、このモデルが一番適していると思います。
極論かも知れないけど、国の予算を重点的に若い人に割けないものですかね。一人100万円でも、自由に使えるお金を配るとか。無駄になってもいいから、チャレンジできる機会を無理やりでも用意した方がいいと思います。
日本企業の雇用慣行も変わる必要があるでしょう。今は、本来の提供価値よりも少ない給料を長く渡して終身雇用を維持し、年功で給料を上げていくことで、「若いうちに辞めると損だよ」と言っているわけです。これでは、いつまで経っても年長者の考え方に従うことになり、若い人が挑戦する機会が生まれません。新型コロナウイルスによって、日本の働き方も変化していますが、より若い人が活躍する機会を増やす方向に世の中が変わるといいですね。
(取材協力:蛯谷 敏)
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