新興国の低所得層に対して小口で融資する「マイクロファイナンス」事業を展開している五常・アンド・カンパニー。同社を率いる愼泰俊氏は「今後、中国とインドの台頭で世界政治はより混迷を深める」と予想している。世界のトレンドが変わろうとしているいま、社会をより理想に近い社会に導くために個人は何を志向し、どう行動すべきなのだろうか。愼氏と近未来社会について聞いた。(聞き手:Future Society 柴沼俊一、斎藤立、瀬川明秀/文・構成中尚子)
慎泰俊/1981年生まれ TAEJUN SHIN
朝鮮大学校法律学科および早稲田大学大学院ファイナンス研究科卒。モルガン・スタンレー・キャピタル、ユニゾン・キャピタルで投資実務に従事。金融機関で働く傍ら、2007年に認定NPO法人Living in Peaceを設立し、平日の夜と週末をNPO活動に費やす。2009年に日本初となるマイクロファイナンス投資ファンドを企画後、 2014年に五常・アンド・カンパニー株式会社を創業。途上国の貧困層向けの金融サービスを提供している。http://gojo.co/ja/
「機会の平等」は愛と情報と金融でできている
――五常・アンド・カンパニー(以下、五常)はいま、何に取り組んでいるのでしょうか。
愼泰俊(以下、愼):五常は世界中で当たり前に金融サービスが使える世の中を作ることを目指しています。今はカンボジア、スリランカ、ミャンマー、インドの4カ国で事業を展開していて、グループ全体で社員が約3000人、お客さんがもう少しで60万人にいくくらいの規模になっています。
そもそも、なぜこういった事業を始めたのか、というと「機会の平等」です。基本的人権が保障されているのであれば、機会の平等は愛と情報、金融へのアクセス、この3つを担保することで実現できると信じています。この中で金融へのアクセスが一番商売として成立させやすいと感じたので、ここから始めました。ただ、自分の人生においては、3つをどれも目指していきたいと思っています。
すべてを射程に入れると30年とか50年の単位で目指すことになるでしょう。金融アクセスについては残り10年でほぼかたをつけたいと思っています。
―― 金融以外の愛と情報へのアクセスというのは何を指すのでしょう。
愼:「愛へのアクセス」は自分を大切にしてくれる人へのアクセスを指します。大抵の場合は親がそれを担っています。愛情を受けることがないと心の基盤が作られにくいので、人と関係を作ったり努力したりするのが極めて難しくなります。これはすごく根本的な課題なのですが、無償の愛を利益がでる形で事業化するのはとても難しく、今は税金でなんとかするしかないのが現状です。
もう1つ、「情報へのアクセス」は基本的な教育、公平なメディアの存在、インターネットなどの情報網へのアクセスを指します。新興国などインターネットが通じない場所で暮らしている人たちを見て、「幸せそうだから放っとけばいいじゃないか」という風に言う先進国の人もいます。でもそういった意見には、根底にパターナリズムが存在しているように思えて、私は嫌なのです。もちろん閉ざされた世界にいる人たちに世の中のあり方を伝えるとショックを受けるかもしれないし、悲しむかもしれない。ですが、世界の姿を知らないままに機会の平等を実現するのは難しいと私は考えています。
企業だって世界政府の一部を担える
愼:「民間版の世界銀行を作ろう」と初めて思ったのは世界経済フォーラムの夏のイベント (サマーダボス)に参加させてもらった2012年のことです。
当時は非営利団体であった世界経済フォーラムが、民間セクターの国連のようになっている様子を目の当たりにして、21世紀は個人でも世界政府の一部門くらいは作れるのではと思ったのです。世界政府というのがあったとしたら、テック部門はグーグルが担ってそうじゃないですか。自分は金融アクセスの仕事がしたい。金融サービスがあったおかげで自分自身も高等教育を受けられた、というのがそう思う理由です。
――その大きな目標を初めて打ち立てた2012年当時は、まだアメリカに力がありました。しかし2019年には米中貿易摩擦が深刻化し、世界貿易機関(WTO)は機能不全に陥りました。国際通貨基金(IMF)もこれまでのようには役割を果たせなくなっています。当時、このような世界になると予想していましたか。
愼:確かに2012年当時はもっと西側諸国の力が強かったですよね。その延長線上で人はモノを見がちでした。ですが、いまの状況って当時でもある程度予想できたことだとも思うのです。
最近、サマーダボスで会ったピーター・シュワルツの著書を読み返しています。将来のシナリオを作るフューチャーリストとして世界的に著名な人ですね。彼のロジックに従って考えてみると、テクノロジーや人口動態というのはトレンドであって、本来、5年後や10年後というのはだいたい予想できます。人はその予想を踏まえた上で将来のことを考えなければいけないのですが、実際は現状のバイアスに引きずられてしまいます。
2012年当時でも、人口と1人当たりGDPの伸びからすれば10年後に中国がアメリカに迫ってくることや、それが政治や社会、経済にもたらすインパクトについて、見ようとしていたら見えたはず。だけれども、自分も結局はそれを思い描けていなかった気がします。それに人工知能(AI)のニューラルネットワークについても当時から話題になっていました。通信やデータ処理がスピードアップすると同時にアルゴリズムにも進歩がおき、中国の共産主義的な考え方が結び付けば、今の状況は、当時からしても想像しうるはずなのです。
多くの場合は政治の意思決定になると思うのですが、もちろん、予想したシナリオが分岐するいくつかの重大な結節点みたいなものはあります。でも、経済やテクノロジー、人口動態、社会の情勢についてはトレンドで流れが見えると最近よく思います。
群雄割拠から、インドと中国の対立構図に
――愼さんは人口とか技術、社会などのうち、世界を変える軸はどこにあると見ていますか。
愼:やっぱり経済力とテクノロジーが極めて強い影響力を持っていて、だからこそ実は、民主主義が長続きしないかもしれない、と感じています。
工場で多くの人が働くことが望ましかった時代は、民主主義が政治機構にピタッとはまったのですが、最近はどちらかと言うと全体主義の方が強い。たぶん、データサイエンスにおける覇権は中国が持っていくかもしれません。西側諸国がプライバシー保護を叫んでいる間に、プライバシーを気にせずデータを収集し、倫理観を気にせずにアルゴリズムを開発し続ける中国がヘゲモニーを握ることを想像しています。その結果、これから中国および全体主義国家が極めて強い力を持つことになっていくでしょう。
今は世界中でポピュリズムが台頭しているようにみえます。アメリカも、日本もイギリスも、インドもそうです。背景には技術進歩と人の国際的な移動が活発になったことがあげられると思います。技術進歩は基本的に格差を拡げます。また、外国人が身近に増えるようになると格差や対立構造が見えやすくなります。さらに、最近では政治家がソーシャルメディア等で個人の心理状態を把握してより効果的なメッセージ(そういった言説はポピュリズムになります)を発信できるようになっている。
このままいくと、変革期には往々にしてそうであるように、10年後の政治状況は混迷を極める気がしています。当面は中国対アメリカになるし、もうちょっとするとインド、中国、アメリカで世界の覇権をめぐって争うようになる。人口規模を考えるとアメリカは途中で分が悪くなるので、最終的には4000年の歴史では常にそうだったように、インドVS中国になるでしょう。
民主主義のあり方が変わろうとしている
――ポピュリズムの台頭の背景について言うと、近代国家が前提としてきた暗黙の了解が壊れ始めたこともあると思います。近代国家において「人間は自由意志で動く合理的経済人」と設定されていたのですが、人間の意思は意外とコントロールできるということがBrexitとトランプ米大統領の当選で証明されてしまいました。意思が揺らぎやすい人間像を前提に社会を考えざるをえなくなっていると思うんですね。
もう1つ、民主主義を構成する2つのルールであるはずの多数決と社会契約も揺らいでいます。格差問題やモビリティーによって、民主主義で必須の「お互いを信頼する」という社会契約がなくなって、その結果多数決しかなくってしまった世界は、全体主義に近くなります。
愼:「強い個人」という概念は近代革命の時期の政治家・思想家・作家の著作に頻繁に出てきます。300~400年前の虚構、革命のための道具だった気がしています。個人は、実はそんなに強くないという風潮と同時に、テクノロジーによって前提が壊れちゃった気がしますよね。
最近、世界最大のヘッジファンド、ブリッジウオーター・アソシエーツの創業者であるレイ・ダリオが書いた『プリンシプルズ』という本に大変感銘を受けました。彼はブリッジウオーターの中で、特定の人の特定の発言に重みづけをする仕組みを導入しているんですね。
まずはテーマ別にその人の意思決定のクオリティをあらかじめ数値化しておきます。そのうえで、ある意思決定については、その人が少数派であっても判断が正しいだろうと決める。国だと難しいかもしれないですが、会社レベルだったら素晴らしい仕組みだと思います。純粋な多数決はもう、機能しにくくなっているのではないでしょうか。
――民主主義のあり方までもが変わりつつある中で、我々はどのように立ち振る舞うべきなのでしょうか。
愼:社会が不安定になれば自由は抑制される可能性が高くなります。そうならないためにもまずは自分の仕事を通じて金融アクセスはある状態を作りたいです。さらに愛と情報へのアクセスの確保も目指すことで社会の不安を抑制したいなと思っています。結局、トレンドって強烈な川の流れのようなもので、止められません。流れに乗りつつできることをしよう、という感じです。トレンドに勝てる人間はいないと思うので。
ただ、流れの中で個人は無力といいつつ、時々個人が決定的な役割を果たす時もあります。希望は捨てずできることをやる、ということだと思っています。もしかしたら自分の1つの行動によって願う方向に社会を変えられるかもしれないという可能性は常に残されています。
――愼さんのように、流れを読みつつそれに逆らわないで世の中を変えて行こうと考える同志のような人はいますか。
愼:日本の起業家には少ないような気がしますが、世界の投資家には大きな流れを読もうとする人が多いですよね。イギリスのファイナンス界の重鎮の一人と、これまで3年間会い続けていますが、その人からこれまでは一度もソーシャルな話を聞かれたことがなかったんです。それが先日会った時に、「(社会や環境の改善を狙う)インパクト投資がくるぞ」と彼が言ったんですよ。これは衝撃的なことで、それまでピュアな金融のことしか考えていなかった人が、「これはインターネットみたいなもので止まらない、メガトレンドになった」と見立てていたんです。
世界に誇れるクオリティのインパクト測定をする
――確かに今、欧州中央銀行(ECB)などの金融政策でも、森林保全を支援できているのかといった基準をガバナンスの中に入れていく等、検討していますね。有限の世界の中でようやく外部不経済も含めて考える、ということが金融の中にも根付いてきた感じがします。
愼:ヨーロッパで完全に潮目が変わった感じがするので、その流れがこれからアジアにもやってきます。そんな中、2020年の五常にとっては(社会に対してどのような影響をもたらしたかを開示する)インパクト測定が極めて重要なテーマになります。
世界中の会社が出しているマイクロファイナンスのインパクトレポートに記載されているのは女性のお客さんやクリーンエネルギー用ローンの数、お客さん全体で発生している雇用の数などです。これは主観的で、まだ本当のインパクトを捉えていない気がしています。本来は人の生活がよくなると数字にどう表れるのかということを定義した上で、自分たちの介入によってそれがどう変わったのかきちんと数字で示すことが必要です。
五常ではほかではできないクオリティのインパクトレポートを作って、世の中に示していきたいと思っています。投資家たちが真剣にインパクト投資について考え始めたら絶対にこういうことを求めてくると予想しているので。今から準備を始めていけば、世界の金融サービスを解決するためのファーストオプションとして五常が選ばれるようになると思います。
ちょっと話が変わりますが、テスラのイーロン・マスクCEOはいくつかの課題、モビリティや再生エネルギーや宇宙開発について、「この人に任せよう」と信じてもらっているように思います。だからこそ、潰れそうに見えても資金調達ができるのではないでしょうか。
――イーロン・マスクのケースは対・大規模投資家という以上に、彼らのビジョンが消費者にうけているっていう感じがしますね。2019年度のテスラは第三四半期で業績が突然、改善しましたが、これは消費者がテスラの自動車を買ったからです。ある意味、クラウンドファンディングの大きいバージョンですよね。お客さんが『お前ら最高!』と思うようにしてしまうのは一つの手かな、と思います。
愼:確かに大衆の支持を得ることが今の世の中では大切だと思います。特にヨーロッパ圏で上場する、となったら極めて大切ですよね。
自動翻訳が発達すると、クラウドファンディングのように世界中の人をつなげてその人たちが資金をやりとりすることがもっとできるようになります。例えばあと数年たてば、5万円を投資してもらった人が『ありがとう、これでがんばるぜ!』と自動翻訳の機能を使ってビデオ電話で伝えられるようになる。それってとても楽しい世界ですよね。これまで金融仲介業者はテクノロジーの限界が故に存在していたわけですが、そのうち減っていくべきで、個人間の取引がもっと効率的にできたら最高だなって思っています。
――今後、愼さんはどのような心持ちで事業に取り組んでいきますか。
愼:私自身が未来の世界感を持って、それと首尾一貫した価値観のもと、日々の行動にも矛盾がないようにすること、自分よりも優れた人たちを引きつけハッピーに働いてもらえるような度量をもつこと、この2つが大切だろうなと思っています。自分の弱さを直視して変えようといつも思っています。自己改革の決意をすれば結果はついてきます。
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