未来社会をひもとく上で欠かせないのが、人そのものへの理解。今回、脳神経科学の研究成果を教育・学習に応用する活動を展開しているDAncing Einstein(ダンシング・アインシュタイン)のファウンダー・CEO、青砥瑞人氏に話を聞いた。青砥氏は脳の研究成果と、そこから見えてきた脳の無限とも言える可能性を引きだしつつ、「シンギュラリティ」に対してあっさりと異を唱える。人は自分の脳の可能性を知れば知るほど、未来をより正確に見定めることができるようになるのかもしれない。青砥氏との対話を通じて未来社会を探った。(Future Society 22)
――青砥さんは日本の高校を中退した後、米UCLAの神経科学学部を飛び級卒業というユニークな経歴をお持ちです。そして脳科学の研究成果を人々の学習・教育につなげる「NeuroEdTech」を提唱し、DAncing Einsteinを通じて様々な活動を展開している。2016年には凸版印刷と共同で脳神経科学を活用した教育プログラムを開発し、凸版印刷の社員教育に導入しました。
Future Society 22では、過去、現在、未来を主に技術、経済、社会、文化の切り口から探ってきました。しかし、人間そのものを見ることも欠かせません。そこで、脳神経科学を教育や学習という切り口からクロスオーバーさせる形で見ていらっしゃるのお話しを頂戴しながら、未来社会を考えるヒントを探りたいと考えました。まずは、脳神経科学の研究分野のトレンドについてから聞かせていただけますか?
青砥: 10年ほど前までは、脳の各部位がどんな機能を担っているのかを探ることに軸が置かれていました。解剖学的な観点で、各部位を細胞・分子レベルに突き詰めるというものです。それによって脳の中でいろいろな処理が行われているのがわかってきました。
しかし、脳は単機能の集合であるという解釈ができるようになってくる一方、それでは説明しづらいことも起きています。例えば、脳のある一カ所が悪化したからといって、そこで担っていた機能が完全にできなくなるとは限らない。これが脳の興味深いところです。
青砥瑞人(あおと みずと)
DAncing Einstein(ダンシング・アインシュタイン)ファウンダー CEO
日本の高校は中退、米国の大学UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)にて神経科学学部を飛び級卒業。脳神経の奥深さと無限の可能性に惹かれ暇さえあれば医学論文に目を通す「脳ヲタク」。一方で教育には特に熱い情熱を持ち、学びの楽しさと教えの尊さを伝えることが生きがい。研究者ではなく、「研究成果たち」をコネクトし、研究成果たちを教育現場・ヒトの成長する場にコネクトし、ヒトの学習と教育の発展に人生を捧げる。脳×教育×ITの掛け合わせで世界初の「NeuroEdTech」という分野を立ち上げ、実際にこの分野でいくつも特許を取得している。ドーパミン(DA)があふれてワクワクが止まらない新しい教育を想像するべくDAncing Einstein co. Ltd.を創設し、教育者、学生、企業と垣根を越えてヒトの成長に関わることを楽しんでいる。創設間もないが、国連関連のイベントや国を巻き込んだプロジェクトも楽しんでいる。
脳は3つのネットワークを行き来しながら活動している
青砥:そういうわけで、ここ5年ほどは、脳の各部位をネットワークとして見る流れが起きています。
ここ10年で特に注目を浴びたのが、「デフォルトモード・ネットワーク(Default Mode Network)」の存在です。特定の対象に意識を払わない、ぼうっとした状態およびそのような状態を司る脳の回路を指します。我々は意識していないけど脳は機能している、といったような、いわゆる無意識下の状態における機能を説明する神経活動として、注目を浴びました。
それに対して、積極的に思考を駆使する、意識的な注意を向けている状態および脳回路が、「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク(Central Executive Network、中央実行ネットワーク)」なのですが、こちらは結構前から存在は知られていたものの、デフォルトモード・ネットワークとの関係性については言及されていませんでした。
そこで今研究が進んでいるのが、これらのハブ的な役割を果たす「サリエンス・ネットワーク(Salience Network、顕著性ネットワーク)」と呼ばれているものです。サリエンス・ネットワークは、両者の中間となるようなネットワークで、これがデフォルトモード・ネットワークとセントラル・エグゼクティブ・ネットワークを切り替える形で機能しているのではないか、という説が、2015年前後から出てきました。
つまりは、脳は大きく、「デフォルトモード・ネットワーク」、「サリエンス・ネットワーク」、「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク」という3つのモードを使いこなしながら活動しているのではないか、ということです。このようにシステムとして脳をとらえ始めたのが近年の面白いトピックかと思います。
「無意識の状態」を認識できると自らがバランスする
――人が3つのモードを切り替えていることを意識し始めたら、何かが変わるのでしょうか。
青砥:仕組みを知ることによって、自分の考え方、行動の在り方、無意識の状態の使い方が変わります。実は私自身がこれを意識し始めて変わりました。
無意識を意識的にコントロールすることを、私は「意識的無意識化」と呼んでいます。しばしば私たちは「情動」と「感情」をそれほど明確な区別をつけることなく理解しています。でもほんとうはこれらの意味は違います。実際、英語では情動はムード、感情はフィーリングです。
もう少し説明しますと、「わ!」と大きな声を出したとき、びくっとする。これは無意識の反応で、ムードで示される「情動反応」と言います。そして人間はびっくりした自分を「びっくりしたなあ」と自分で認識できます。これは「言語的タグ付け」をしている状態なのですが、脳科学的に言いますと、無意識の反応と客観的な認識とで脳の違った部位を使っています。こうした状態がフィーリングという言葉で示される「感じている状態」です。
ここで重要なのは、人の脳には自分の状態を客観的に認識する機能があるということです。私はこれを意識することが人の重要な能力のひとつであり、意図的に伸ばせるスキルだと思っています。情動と感情の違いをちゃんと把握することが重要です。例えば、身体がストレス反応を出すことと、自分がストレス反応をしていることに気付けるかどうか。ストレス反応そのものと、それに気づくことは別なんです。「自分にはストレスがない」と言っている人のほうがうつ病になりやすい。言い換えると、自分の身体が反応していることに気づけない人がうつ病になるという傾向があります。
――気づくことができれば、それに対するアクションが取れますよね。
青砥:はい。誰かに相談するなど、気づいた事柄に沿った行動がとれるようになります。そうすれば、本格的な疾患に陥る可能性を低くすることができます。先ほどの3つのネットワークに置き換えて説明しますと、無意識の反応がサリエンス・ネットワークに入ってくる。そのサリエンス・ネットワークのシグナルに対して、セントラル・エグゼクティブ・ネットワークで認識できるかどうか、ということです。自分のネットワーク状態を意識できれば、いろいろなことが変わります。
クリエイティビティは無意識の下でこそ活発化する
――3つのネットワークはどのように連携しているのか、教えていただけますか。
青砥:3つのネットワークをシステムとして捉える研究はまだこれから進展する分野です。なのでこれから述べる話は、あくまで私の見解となります。
デフォルトモード・ネットワークは特定の対象に意識を払わない回路および活動状態ですから、動物的で低次的なイメージをもたれがちです。一方セントラル・エグゼクティブ・ネットワークは意識的にコントロールしている活動状態で、確かに名称としても「高次機能」と呼ばれたりします。しかしこの傾向は、デフォルトモード・ネットワークの研究が、これまでそれほど進んでいなかったことが影響しているように思います。
なぜかと言いますと、セントラル・エグゼクティブ・ネットワークにおいて活性化する部位は、主に大脳新皮質の前側の前頭前皮質がメインとなるのですが、ここは脳の外側なので計測しやすいのです。デフォルトモード・ネットワークで活性化するのは、脳のより内側の部位なんです。大脳新皮質と大脳辺縁系という部位の一部です。当然ですが、内側になればなるほど計測しにくくなります。
つまり、活動があまり知られてこなかったゆえに、低次であるかような印象があったのですが、研究が進むにつれて「本当に低次なのか?」という疑問が提示されるようになり、最近は、「実は凄いんじゃないか」という見方が主流になっています。人が意識的に活動していない時に自動的に動いているこのネットワークが、例えばクリエイティビティにも非常に重要な役割を果たしているのではないかと。
――そうだとしたら、デフォルトモード・ネットワークとセントラル・エグゼクティブ・ネットワークのどちらが高次なのかとは言いにくいですね。
青砥:その通りです。それぞれ異なった重要な役割があるので、どちらが高次という比較は意味がありません。そして、それらの間にあるサリエンス・ネットワークも重要な役割を果たしています。デフォルトモード・ネットワークとセントラル・エグゼクティブ・ネットワークから発せられるそれぞれのシグナルに反応できるのがここなんです。
近年マインドフルネスが注目を浴びています。マインドフルネスでは「アウェアネス(気づき)」が重視されますが、これは自分の内側の反応に対してきちんと注意を向け、認識をもたせることから起きます。アウェアネスはデフォルトモード・ネットワークからセントラルエグゼクティブネットワークへの流れを強化することと言えるでしょう。
――時代の流れを見ていると、「ティール組織」といった中央集権的ではない自律的な組織システムが注目されています。マインドフルネスも含めて考えると、東洋哲学に由来する、あるいはそれに類する考え方が注目を浴びていると言えそうです。脳科学の言葉を借りれば、セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク的なロジック偏重の考え方に限界が見えてきた、ということかと思うのですが、これについてはどう感じていらっしゃいますか。
青砥:確かに、その点については同意できる感覚ありますね。少し話の角度が変わりますが、ゲームの「eスポーツ」ってありますよね。eスポーツのプレーヤーって凄い能力を備えているなと思うんです。私も小さい頃、アクションパズルゲームの「ぷよぷよ」をやっていたことがあるのですが、あれってセントラル・エグゼクティブ・ネットワークだけを使っていたら処理できない。これをあそこにはめ込んで、と論理で積み上げながらプレーしていたら、すぐにゲームオーバーになります。
プロのゲーマーたちはたくさんの要素を同時並行に、しかも非言語的に処理して次々とゲームを進めている。おそらくデフォルトモード・ネットワーク優位の状態に入っているのでしょう。実際、処理量やスピードの面ではデフォルトモード・ネットワークが圧倒的に強いんです。
一方、セントラル・エグゼクティブ・ネットワークにおいて意識的に注意を向けられる対象は、すごく限定的です。人間に入る情報の内、大脳新皮質で処理されているのは全体の1000分の1程度。例えば、今こうして会話をしている瞬間に、どんな服を着ているのかということには意識は向きませんね。これは取捨選択の仕組みが働いている。脳は「取りにいく」メカニズムも重要なのですが、「捨てる」作業も行っている。つまり、捨てることによって、ちゃんと取ることにフォーカスを当てるというのが、セントラル・エグゼクティブ・ネットワークの仕組みなのです。
それに対して、デフォルトモード・ネットワークは多元的な情報処理を、非言語的なものも含めて実行できる可能性があります。意識的なトップダウンの思考、論理思考などではセントラル・エグゼクティブ・ネットワークが使われるわけですが、いろいろな情報を組み合わせてこれまでにない着想を得る、といった活動をしたいときは限界があると言えるかと思います。
――デフォルトモード・ネットワークを活用できたら、クリエイティビティが高まりそうですね。子供の教育を考えている親にとっては興味深い話です。
青砥:おっしゃる通りです。実際に脳の研究では、クリエイティブ活動の多くにおいて、デフォルトモード・ネットワークが活用されていることがわかってきています。でも。大事なことは、デフォルトモード・ネットワークとセントラル・エグゼクティブ・ネットワークのどちらも人間の優れた機能であるということだと思います。それらを併せ持っていることが人間の本質的な価値であり、素晴らしさではないでしょうか。
ニューロンをゼロイチで考えるのは大雑把。脳内には無限の世界が広がっている
――少し前に「シンギュラリティ」が話題になりました。人工知能やロボットが進化して人間の能力を超えた仕組みが社会に登場する、このような世界は人間にとって幸せなのか、という議論がなされています。しかし脳科学の話を聞くと、そうしたシンギュラリティで語られている人間観とずいぶん違う捉え方ができそうだなと思いました。一言で言えば、やっぱり人間って凄そうだ、と。人工知能やロボットが進化して社会に浸透しつつ、同時に脳科学の知見がより一般的に広まったら、どんな社会になると思いますか。
青砥:あくまで仮説、推測であり、かつ私の意見でしかありませんが、もしかしたら、シンギュラリティのロジックは、人間の脳を深く知らない人が立てたのではないかと思います。もしそうだとしたら、前提が間違っています。人間の脳にはニューロンが数100億も入っている、それぞれの神経細胞が1万のシナプスを持っていたとしても、組み合わせのパターンは限られます。そこだけに着目すると、確かにマシンが進化すればそちらのほうが有利そうです。
ただ、脳神経科学の観点から神経細胞ひとつひとつを見ていくと、その神経細胞ひとつひとつにまさに無限の世界が広がっているのです。もしかしたら、ニューロンの信号をデジタル技術の世界のゼロイチに符号化して捉える向きがあるのかもしれませんが、実際には、ニューロンの信号はゼロからイチの間を無限に刻んでいる。非常に複雑な世界がそこにあるわけです。そんな世界があるのに、それをゼロイチで言ってしまうとしたら、あまりにも大雑把すぎますよね。
先に数100億という数字を挙げましたが、脳における神経細胞とは、脳の中で約1割にすぎません。ややもすると「1割しか働いていない」と受けとめられがちですが、実は脳は全てが働いています。当時、人間の脳を電極などで調べたら「反応したのが全体の10%」だったということから、その1割という数字が表に出てきただけなんです。
――数字が一人歩きして、「1割しか働いていない」という話が広まってしまった格好ですね。
青砥:その1割というのは神経細胞という特別な細胞でして、電気に反応する細胞だったんです。残りの9割はグリア細胞と呼ばれている細胞がほとんどで、これらは神経細胞に栄養を与えたり構造を維持したりと、重要な役割をしています。これを「働いていないと言えるのか」、ということです。
例えばアインシュタインは、一つの神経細胞に対するグリア細胞の割合が高いと言われています。それがアインシュタインの脳活動を支援していたのではないかということが指摘されるようになりました。このように脳科学の視点で丁寧に考えていくと、まだまだ我々の脳には多くの未知と可能性があり、「技術で人が駆逐される」と安易にいうのは間違いだという結論に至ると思います。
脳と人工知能を同列に比較するには無理がある
――細胞の構造の話は興味深いですね。研究が進めば進むほど、いかに私たちが脳を過小評価し、誤解していたかが分かってくる印象があります。
青砥:そもそもバイオロジカルな人間の脳と、チップ上で動く人工知能を同列に比較しようというのが無理だと思うんです。それぞれ物質的な由来が違うのであれば、それぞれできることもまた違って当然だと思います。一見、マシンで動く人工知能のほうが情報伝達は早そうですが、実はバイオロジカルな人間の脳は、電気的なエネルギーの消費をかなり低く抑えたまま情報処理をしているんです。これからの世の中はどうなるかと考えたら、これらの共存になるのだろうと思います。
――どちらかを置き換えるという発想がナンセンスだということですね。共存の形態としては、どんなものがあり得るでしょうか。
青砥:はい。まず私たち人間が脳のことをもっと理解して、それを生かす行動を自身で取るというものです。これによって、言うなれば脳をバイオロジカルにアップデートすることができるでしょう。更に、このバイオロジカルな脳に人工知能のようなチップを組み込んでいくことも可能で、実際にかなり研究が進んでいます。将来は、人工の脳、例えばペッパー君などに対して、バイオロジカルな脳を生着させることができるかもしれません。無茶に聞こえるかもしれませんが、可能性としてはゼロではありません。
――これから、もう一度ルネサンスが来るという説が出ていています。15世紀の西洋で古代ギリシャのプラトンやアリストテレス、ソクラテスが再評価されてルネサンスが始まった構図によく似ているというのがその趣旨です。
ここ200~300年は科学が社会を席巻していて、ロジカルに詰めていくことによって効率化を達成してきました。その極地が人工知能です。でも脳神経科学のお話を聞くと、実はそれは自然の姿に見られるバイオロジカルな世界を無視したまま進めていたといえるでしょう。そもそも実は脳にとてつもない無限の世界があったとも言えそうです。
青砥:科学を突き詰めれば突き詰めるほど、過去の偉大な人々が唱えた論とその価値がどんどんしみ込んでくるように思います。現代まで残るというのは、やはりその時代の賢者たちが本質的な価値をちゃんと認識して説明できていたからでしょう。そして科学の発達によって、その価値が再認識され始めている。人間の普遍的な存在価値にもう一度気づき始めた時代になってきたのかもしれないと思います。
「気づける」力が脳の力。生体データに頼りすぎてはいけない
青砥:「私は脳神経科学を教育や学習に生かす活動をしています」と話すと、脳活動を測定するようなデバイスを使って教育に応用するのでしょうか、と言われることがありますが、違います。私は、自動で自分の生体データが取れるようになることは、実は人間の能力を弱めることにつながると思っています。なんでもかんでも自分の反応を自動で取るようになったら、自分の力でモニタリングして学んでいくという脳の学習機能が衰えていくからです。
「気づける」という能力は我々にとって非常に重要な機能だし、その機能を鍛えるというプロセスそのものが脳の強化になります。デバイスをもし使うとしても、そこから得られる生体データは、学習のためのサポートツールとして位置づけたほうがいいと思うんです。一方、莫大な生体データから何かの兆候や傾向をつかむといったことは、人工知能が圧倒的に強い。ですからそこは人工知能にサポートしてもらうのがよいでしょう。
人間の脳をアップデートさせつつ、人間だけでは処理できないようなことは、人工知能をはじめとしたテクノロジーのパワーを適用する。そうして自分を知る手がかりや、成長する手がかりを獲得する。私が創業したダンシング・アインシュタインでは、このような世界観に基づいて新しい教育の在り方を実現しようとしています。
――青砥さんは日本の高校を中退して米国に渡り、大学を飛び級で卒業するという特徴的な経歴をお持ちです。そして今は脳神経科学に行き着いたわけですが、そうした経歴をたどった背景に、ご自身の生育環境は影響しているのでしょうか。
青砥:事業で教育分野の方々やお子さんをお持ちのご両親と対応することがありますが、学校の先生方やご両親と接するにつれ、確かに両親の影響は大きかったと思います。特に父親の影響ですね。
私の父親は芸術の道にいました。父親の家系は、劇団四季の元劇団員で今は劇団を持っていたりする人、デザイナー、ミュージシャンといった、そういう家系なんです。アートが普段から身近にある生活でした。今から思うと、非言語的なものの価値を認識する機会が多かったと思います。
そのため、医学分野の方ともよくお目にかかりますが、どちらかと言えばちょっと変わった経歴の方とシンパシーが合う傾向があります。非言語的な情報に価値を見いだす世界に居た経験があると、科学に基づく分野に身を置いていたとしても、科学の限界を念頭に置いた上で議論ができる。
他の人から「スピリチュアルって絶対信じないでしょ?」と言われることもありますが、私自身は、そこに何かがあるという立場でいます。今の科学がまだ捉えきれていないというだけかもしれませんから。それこそ量子レベルで脳を解明し始めたら、何かが見えてくるかもしれませんし。
実際、脳の解明が進んだことで説明できるようになったことが多々あります。例えば戦争などで腕をなくした人が「腕が痛い」と訴えるという話があります。医者は気のせいだと馬鹿にしていたわけですが、研究の結果、脳の配線の問題によって、存在しない腕にも痛みを感じているということが分かり、治療法が確立されました。わからないものイコール存在しないもの、ということではないんです。
気づかぬ内に私たちの脳のはたらきは限定されている。いかに解放できるかが鍵
――現代人の思考はニュートン力学によって積み重ねられた固定観念でつくられています。でも今青砥さんが挙げられたように、量子力学的な考えが社会に浸透しつつある。人々の概念が量子力学的なものに切り替わってきている瞬間のように思います。
量子力学が成立し始めたのが100年ほど前です。そして100年かかって、ようやく私を含めた一般市民が「量子力学は世界をうまく説明しているのかもしれない」という認識を持ち始めた。もしかしたら、あと100年も経過すると、青砥さんが今おっしゃったような、「見えないからわからない」が「それは証明できる」という世界がやってくるのかもしれませんね。
青砥:おっしゃる通りだと思います。例えば言語は便利なツールで、それを生み出したのは人間のひとつの進化のプロセスだと思うのですが、言語の限定性についても着目しなければなりません。
例えばこのスマホを、スマホという言葉を使わないで説明しろ、と言われたらどう説明するのか。結構、大変です。実はそういうところに意識を持っているのが詩人だったりします。谷川俊太郎さんの詩集を読むと、コップのようなありきたりのものをすごく巧みに説明するんです。
つまり、私たちの周囲に存在する物事にはいろんな情報が含まれているのに、言葉に頼りすぎて情報をカットしたままにしている。こうした事実を改めて認識すると、視野を広げたり、新たな可能性を開ける可能性があると思います。スマホをきっかけに絵文字が出てきましたが、それも納得です。今後もこのようなものがどんどん進化する可能性があるでしょう。
もうちょっと言うと、例えば人間の表情にはいろいろな情報が含まれていて、脳の観点で言っても、顔だけは特別な部位として認識されます。例えば、ペットボトルや写真を逆さに配置してもそれがペットボトルだとすぐ分かる。僕の顔の写真を切り抜いて逆さに配置すると、すぐには僕だと当てられない。どうしてそうなるかというと、人間の顔は進化の過程から言っても重要な部位なので、脳において特殊な回路を経るんです。それに、そもそも逆さに見ることってあまりない。つまりそのような認識の仕方は必要ないんです、脳は負担を減らすために不要なものは処理しないというのが原則なので、そのような機能は進化のプロセスで排除されたようなのです。
つまり、進化のプロセスにおいて制約をとっぱらっていけば、脳がどんどんアップデートされている余地はいくらでもあるんです。
エネルギーは必要、でも大人も学習し続けられる
――脳の話でよくあるのが、年齢を重ねると学習が難しくなるという話題です。脳神経科学の観点からはどのようになっているのでしょうか。
青砥:新しい事柄を学習する際に、やはり大人よりも子供のほうが学習スピードが早いというのは事実です。大人も学習できますがより労力がかかります。
人間の脳にはシナプスという脳の神経細胞同士を結びつける接続部位があります。この機能が最大になるのは脳の部位により多少前後しますが、生後8ヶ月くらいまでなんです。そこからどんどんプルーニング(刈り込み)が始まります。刈り込む理由は、回路をたくさん持っておくのは脳にとってエネルギーの無駄使いが激しいからです。どんどんどんどん減っていって、14歳~15歳くらいには成人のシナプス数になる。
ここからシナプスは増えないかというと、実は増えると言われています。シナプスフォーメーションと呼ばれる現象でして、やれば増えます。つまり、やらなければ増えません。これを脳神経科学の世界では、Use it or Lose it.と言います。シナプスは、使われれば成長するが、使われないとそのまま、なのではなく、失うということです。
子供の学習の仕方は、すでに存在するシナプスを強固にするというアプローチです。一方大人の場合は、シナプスをまず作り、それを強固にするというアプローチ。だから、新しいことを学習するにはエネルギーを必要とするのです。
だから、大人はその過程において挫折することが多いのです。もやもやした状態からなかなか進展しなくて、もう自分にはセンスがない、などと思ってストップしてしまう。けれども、脳の構造から言えば、大人になっても十分形成可能です。このことを知ることがとても大切です。
――自分次第ということですね。考える力は筋力みたいなものだとも言われます。筋肉は見えるからわかりやすいですが、脳の中は見えにくいから挫折しやすいということかもしれませんね。
青砥:鍛えるという点から言いますと、いろいろな分野で「言語化する能力を鍛えるといい」といったアドバイスがなされています。実際、私も自身の非言語的な成長を言語化できる能力は、人間の優れた能力であり、かつ鍛えるとよいと思います。
例えば、自転車に乗るという動作は運動野で行われるので、非言語です。自転車に乗っている状態を説明してくださいと言われると、非常に難しいはずです。このような非言語な処理は意外にたくさんある。
その点、私は野球選手のイチローはやはりすごい。彼は自分自身がプレー中に何をどう感じていてどう打てているのかを言語化できたときに超一流になれたと発言しているんです。この「どう感じて」といった感情的な要素、そして「どう打てて」という言葉を使っているあたりがさすがの感覚だと思います。
プロセスをエンジョイし、自分の感覚に反応することを大切に
――「人生100年時代」と言われている中、残り40年、50年といった短くない時間をどう生きていけばいいかと不安を抱えている人がいるかと思います。青砥さんの脳科学のお話は、そのような人々に対するヒントになるかもしれません。
青砥:はい、継続できれば大きく変われるはずです。脳と学習の関係性については仮説が多く、実証レベルに至っていない研究も多くありますが、私自身の経験上、使えるものが多いと感じています。
非言語的な感覚を言語化するのは難しそうだ、と思われるかもしれません。けれども、探してみると日常の中にたくさんそのポイントがある。最初のとっかかりは単純なことで良いのだと思います。天気がいいとか、太陽が気持ちいいといった感覚に気づいて、「あぁ気持ちいいな」と情動を出して、それにも気づく。こんな形の第一歩で良いのではないでしょうか。
――現代社会では、「いち早くゴールにたどり着くこと」「より高い山に登ること」が成功という価値観が優位です。しかし人間の成長という観点で見ると、それだけでは行き詰まります。わざと時間の流れを止めたり、目の前のことに新しさを見つけたりということにも価値を見いだせた方が楽しく生きられそうです。
青砥:おっしゃる通りで、道のりそのものに楽しい要素がいっぱいあるはずです。確かにスピードや結果には感情が大きく出やすいですし、世間ではそこで価値判断されることが多いですが、いかにプロセスをエンジョイできるかというのが、これからの時代においては大事なポイントとなるでしょう。
「ひたすら結果を目指すパターンの学習を積み重ねた人」と、「プロセスにポジティブな感情を得つつそこそこの結果を出してきた人」という2つのケースを想定してみましょう。結果がどうなるか分からないけれども取り組むべきことが出てきた際、前者のタイプの人は、モチベーションを保ちにくい。しかし後者のタイプの人は、モチベーションが保ちやすいと言えます。
当然、前者は結果がモチベーションですから、結果がどうなるのかわからないことに対しては、モチベーションが湧きづらい。一方の後者は、プロセスにも快感情を持つことができ、それがモチベーションにもなるので、不確定要素の高いことにもチャレンジしやすいでしょう。これからの時代を鑑みると、結果の見えやすいことは、人工知能さんが圧倒的に得意で精度よくこなしていくでしょう。一方、不確定要素が高く失敗確率の高い方は、人工知能さんは、その方向を選択することはないですから、我々人間の脳の働きどころと言えるかもしれません。この不確定要素、曖昧、カオス、を楽しめるようになるといいかもしれませんね。
子供たちの教育において、子供たちを点数だけで評価するシステムの弊害が指摘されています。脳の観点で見てもこれはやはり良くないと思います。「結果が見えないからチャレンジしない」という脳を形成することにつながりかねませんから。
意志を持って習慣化していくと、脳はどんどん進化する
――最後に、脳神経科学の知識を青砥さんご自身が生かして、より良く変化できたというエピソードがありましたら教えてください。
青砥:先ほど太陽の例を挙げましたが、実は私自身が取り組んでいることなんです。
私は朝4時44分に起きるのですが、その時間に設定しているのは、脳の仕組みを知っているからなのです。私は4月4日生まれで4がラッキーナンバーだと思っていて、「444」に起きればそのラッキーナンバーを見ることができる。それを見ようというモチベーションとともに、朝目覚めます。ラッキーナンバーを見たいというモチベーションがあるので起きやすい。
そして、ベランダに出て朝の太陽を見て「あぁ気持ちいい!」と言う。「大丈夫?」と言われそうですが(笑)。朝の太陽光の光量は、脳内でセロトニンの分泌を促します。心をリラックス状態にする分泌物として非常に重要な上に、睡眠に必要なメラトニン合成量を多くしてくれます。そうやって太陽に挨拶しながらベランダで瞑想する。これらは最初の内は理論的な解釈に基づいて、それほど意識せずに取り組んでいたんです。けれども習慣化して体験を重ねるごとに、気持ちいい感覚が強まってくることが分かりました。習慣化していくと、その体験を頭の中で想像しただけで気持ちいい感覚が得られます。
実は朝もう一つやっていることがあるんですね。神棚とまではいかないまでも、明治神宮で頂いたものに向かってお祈りします。2礼2拍手1礼し、心からの感謝と、今日の1日を頑張ることを誓います。明治神宮は私の結婚式を行った場所で、そこで妻、親族、大切な人と大きな大きな感謝に包まれた本当に幸せな時間を過ごしました。この体験は、脳に強く強く記憶されているのです。この想いが、毎朝、毎晩お祈りするときに想起され、強い感謝の心と幸福感を感じることができるのです。
記憶についても、昔に比べて圧倒的に良くなっているという自覚があります。私は講座の講師をしているのですが、受講者のお名前を覚えるのに脳科学に基づいた工夫をしています。というのは、元々名前を覚えるのがとても苦手なので。
ある時、32人の講座を受け持ちました。この講座で、「15分間で受講者全員の名前を覚える」というテストを課しました。実は私自身も取り組みました。結構緊張しますよ、受講生のほとんどは私より年上なので、間違ったら失礼ですし。
実は覚え方があります。単に名前で覚えようとしてもまず無理です。私の場合、名前、人の顔、名前の漢字からイメージできる映像を頭の中でくっつけるんです。くっつける際も、変な結び方でくっつけます。脳の構造として原則、記憶にギャップがあるとドーパミンが出やすい。そこを抑えながら覚えるとうまくいきます。
当社のダンシング・アインシュタインという会社名も、ダンシングしているアインシュタインって想像するといかがですか。
――ちょっと変わった印象を受けますよね。
青砥:そう、多くの人は乖離したイメージを想起すると思います。実際、意図的にそのような組み合わせを心がけると、記憶に定着しやすいんです。
脳はプレイスセル(place cells)という場所で物事を覚えます。人は日常で自然と「確かこの位置にこれがあった」「この情報はノートのこの位置に書いた気がする」という具合に記憶を探っていますが、この仕組みを意識的に心がけると、よりうまくいきます。頭の中でプレイス(場所)を設計し、それを意識するという具合です。私個人としてはそれほど得意な手法ではありませんが、それでもこれを意識するようになって、以前よりも大分楽に記憶できるようになりました。
クリエイティビティの向上にも脳科学の知識は使えます。私は特許をいくつか取得していますが、その発想が出てくるのは主にサウナなんです。まず、机の上で仕事をしているときに、ああでもない、こうでもないと考えます。例えばアルゴリズムを集中して考える。先にも挙げましたセントラル・エグゼクティブ・ネットワークを使っているわけです。
大概の場合すぐにうまくいくことはなく、何日も何週間も何カ月も考え込みます。ここにどっぷり浸る。熟成させる醸成期はやはり必要なんです。行き詰まりまくった先に、サウナに行くといろいろとアイデアが出てくる。
人があれこれと想像を膨らませている際、脳はデフォルトモード・ネットワークを使っている格好です。もし意識的にこの状態を作りたいのであれば、セントラル・エグゼクティブ・ネットワークの状態から抜け出す必要がある。そのためには普段の自分とは関係ないような場に身を置くことがポイントになります。私にとってはサウナがそのひとつなのです。リラックスできるし、体温が上がっているので、普段とは違う脳の状態になっていますし。
――脳の状態を意図的に変える、ということですね。
青砥:はい。これは非常に重要なことだと思います。しばしば「研究者が旅行している間に閃いた」「シャワーを浴びているときに閃いた」と言われますが、脳の構造から考えると実に説明しやすい現象なんです。とことん考えて熟成させて脳の神経回路ができあがっている状態だとなおさら、関係ないときにふっと良い発想が出てくる。意識して取り組んでみると良いと思います。
寝起きの時間も脳の状態が普段とまったく違うので、閃きやすい。寝床にメモを置いておく人もいますが、これは理にかなったことだと思いますよ。ぜひみなさんやってみてください。
――人間は自ら進化できるということを、脳の可能性を紐解くことでよく理解できました。脳の仕組みを知り、進化できることを信じ、アクションするということの先に、未来がありますね。本日はありがとうございました。
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