生命の特性は、まずは「壊す」ことにある。人が歩くのと同じだ。
いったんバランスを崩すことで一歩足を踏み出ししやすくなるように、不安定な状況を創り出すことで、あらゆる変化に対応できる高次元の「安定」を実現しているのだ。この「動的平衡」の考え方は生物学だけではなく社会を理解する時にもヒントになるのではないか。そこで今回は、「動的平衡」シリーズの著者である生物科学者・福岡伸一教授に未来の話を聞いてきた。
(聞き手:Future Society 22)
福岡伸一 ふくおかしんいち
生物学者・青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京生まれ。京都大学卒。ベストセラー『生物と無生物のあいだ』、『動的平衡』ほか、「生命とは何か」を分かりやすく解説した著書多数。他に『世界は分けてもわからない』、『できそこないの男たち』、『動的平衡2』、『ルリボシカミキリの青』、『フェルメール 光の王国』、『せいめいのはなし』、『福岡ハカセの本棚』、『生命の逆襲』、『動的平衡ダイアローグ』。新刊に『動的平衡3』がある。
僕(柴沼俊一)は生け花を時々やるんですが、昨年、福岡先生の『西田哲学を読む』を読んで、本に書かれた「生命の儚さと永遠」の世界観を表現しようと考え、こんな作品を創りました。(※写真は文末に)
福岡: 柴沼さんは、華道家なんですか?
いえいえ(笑)。趣味です。本業はコンサルティング会社のマネジメントをしています。福岡さんが2007年に出版された『生物と無生物のあいだ』を読んで、「この考え方は、企業経営・組織運営に相通じるものがある」と感銘を受けて以来、福岡さんの本は全部読んでいます。
福岡:ありがとうございます。「動的平衡」というのは儲からない思想、生物学はビジネスから一番遠い世界だと思ってきたので、新鮮な驚きです(笑)。
生物は自らを「破壊」し続けることで生きている
福岡:ビジネスの世界では数々の制約条件の中で、最適なパフォーマンスをあげることが期待されていますよね。上場企業であれば1年、四半期ごとに成果が問われますよね。
ええ、そうなんです。
福岡:一方、生物学で扱っている時間軸はビジネスの世界と違います。ビジネスの世界では四半期、1年間で「変化がない」ことは評価できないかもしれません。でも生物は生まれてから38億年です。1年で変化がなくとも何百万年、何千万年単位でみると目覚ましく進化しているわけです。評価の尺度を数秒単位から億単位まで、自在に変えながら観察していかないと分からないことが多い。
ですからビジネスの視点から見ると不思議なことが起きています。そもそも細胞は「合理性」「成果」だけを求めて動いていません。 Aという行動をとりながらも、全く矛盾するBという行動をしたりする。C→Dという順番ではなく、逆のD→Cという順番でも動く。さらに、こうした相反する行動を同時にやったりします。 その行動の目的も、新しいものを創るためだけじゃなく、いま作ったばかりの細胞を「壊す」ことだったりする。細胞は作るよりも、壊すアプローチの方が多く、「壊す」ために生きているとも言えるほどです。しかもそれを平気でやるのです。
尺度が違うと不思議に見えることが多いですね。
福岡:例えば私たちが、100年以上も浸食や風化に耐える頑丈な建物を建てようとしたらどう考えますか。地下深くに基礎を打ち込み、 頑丈な素材を用いて堅牢に作ろうと発想しますよね。修繕しながらならば、100年以上も耐えられる建物ができるかもしれません。
でも、1000年、1万年後はどうでしょう。おそらく風化に耐えられず、朽ち果てて何も残らないでしょう。私たちは宇宙の大原則である「エントロピー増大則」に支配されている以上、築き上げたものは崩れ、秩序あるものは無秩序化する。1つの場所で止まっていることはできず、分散していきます。整理整頓したはずの机の上はぐちゃぐちゃになっているし、淹れたてのコーヒーは冷める。熱い恋愛も冷めるんです(笑)。
でも、38億年も生きながらえてきた生物はどうやって朽ち果てることに抗ってきたのでしょう。生物は堅牢になることを諦め、自分で自分の細胞を壊すことを選んだんです。「エントロピー増大則」が襲ってくる前に、先回りして自分で細胞をどんどん壊す。壊し続けることで、結果的に常に新しい細胞が生まれる状況を維持しているんです。
「壊し続ける」ことで状況は不安定になりますが、それゆえに、次の「合成」のプロセスが立ち上がるんです。これは不思議なことではなく、人間が歩いている行動がそうです。片足を前に差し出すことで、体全体のバランスを崩しています。その不安定な状態を解消しようとして、もう一方の足が自然と前に出るんです。最初に「分解(エントロピーの増大)」があり、「合成(自己組織化)」が起きるというサイクルを、絶え間なく繰り返し続けていることで、高次元の「安定」をつくり続けている、これが「動的平衡」の考え方です。
人間の遺伝子をすべて解析する「ゲノム計画」で、何がわかったのか?
細胞と脳の役割の話も著書に書かれていますね。かつてはコントロールセンターである「脳」がすべての臓器に指示していると考えられていた。組織で言えば中央集権的組織です。でも、実際は、中央司令塔である脳が全ての臓器、細胞に指示を出しているわけではなく、個々の細胞が周囲の細胞・分子との「関係性」をみながら自律的に動き変化に対応していることが分かってきた。ビジネスの世界でいえば「社員が周囲を見ながら自分の役割を判断し、動きまわる自律的分散組織に近い」と思いながら読みました。
『動的平衡3』でも、サッカーの岡田武史監督が、細胞同士の自律的な動き方を「理想のチーム像」とおっしゃっていたのが面白かったのですが、そもそも、福岡先生はどういう経緯で「動的平衡」の考え方に辿り着いたのでしょう。
福岡:私は子供の頃は虫を採るのが大好きで、世界中の美しい蝶々を探すために「生物学」に入ったのですが、次第に美しい蝶々のような生き物がつくられる過程の方に興味を持ち始め、細胞レベル、遺伝子レベルと、ミクロの世界へと解像度を上げていったんです。辿り着いたのがDNA。ちょうど「分子生物学」という新しいテクノロジーが入ってきた時期でもあり、自分で新しい遺伝子を発見してみたいと考えました。
その頃、米国では人間の遺伝子をすべて解読する「ヒトゲノム計画」が発表されました。壮大な計画で誰もが無理かと思っていたのに、米国は人間の遺伝子をすべて調べ上げてしまったんですね。先を越されたんですが、遺伝子がすべて解読されれば、命とは何かが解明されるのではないか。生物学者たちはみな期待したんです。でも、これで何が分かったのかといえば、なにも分からなかった。「何も分からない」ということだけが、分かったんです。
振り出しに戻ってしまった、ということでしょうか。
福岡:映画のエンディングロールをイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。映画を逆からみて、エンディングロールを読むと、その映画に関わった人たちが紹介されますよね。出演者や演出、音楽、監督など本当にたくさんの人たちが関わっているのが分かりますが、名前と役割がわかっただけでは、どんな映画だったのかは分からない。「ゲノム計画」で分かったのことも、それと同じことなんです。映画なら台本があり、時間軸に沿って誰がどんなことをしているのか推測できますが、ゲノムの世界では、エンディングロールは作れても、肝心なドラマの中身は誰にも分らないのです。
生物は「機械」ではない。細胞の「つながり」と「関係性」で維持される。
生命とは何か。そこが謎に包まれたまま、生物学、医学の世界では、遺伝子の組み換え実験や臓器移植、再生医療の研究や実用化の動きが加速していますね。
福岡:臓器移植や再生医療のアプローチの背景には、どこか生命を「機械」のように捉える考え方があります。「悪くなった部位は取り除けばいい」「パーツを入れ替えれば元どおりに治る」という発想です。しかし、局所的なパーツの交換によってカラダ全体がおかしくなることがあるし、逆に、特定の部位がなくても周囲の細胞が変化して代替してしまうこともあるんです。かならずしも、生物は独立した機械部位の集合体ではないのです。
私はかつて膵臓細胞の消化酵素について研究をしていたこともあります。小胞体膜に存在する特定のタンパク質が 消化酵素を分泌するときに重要な働きをしている、と考えていたのです。そこで、あえてそのタンパク質を持たないマウスをつくって実験したんです。このタンパク質を持たなければ→マウスは消化酵素が不足する→やがては栄養失調になる。それが確認できれば特定のタンパク質が不可欠なものであることが証明できるわけです。
ところが、このタンパク質を持たないマウスは栄養失調にはならず、健康体のままだったんです。調べて分かったんですが、欠けている機能を補完するように周囲の細胞が干渉し合い、変化していました。この現象を見た時、生命とは、決められた役割だけをもった機械部品の集まりとは違う、ということに気が付きました。
ひとつの細胞とその周囲の細胞の関係は、とても不思議です。互いに、情報・エネルギーを交換することで影響し合っています。実際私たちの身体は、一年前と今ではすべてが新しくなっている、と言えるほど変化しています。分子単位でみても細胞単位でみても、1年前とはまったく違うものなんです。それでも、影響し合うという「関係性」、「つながり」だけは変わらない。細胞は変わっているのに、細胞同士がつながりながら、全体としてはバランスを取っているんです。こうした「生命のバランス」を、実験で最初に指し示したのが、ドイツ生まれの米国の科学者ルドルフ・シェーン ハイマーRudolph Schoenheimerでした。1930年代のことです。彼は「身体構成成分の動的な状態」と説明しました。私はこの概念を拡張して「動的平衡」と言っているのです。
生物といえば、これまで自己複製、自己増殖するプロセスばかり注目されてきましたが、2000年代に入って「どうやら生物がやっていることは創ることばかりじゃないぞ」ということで、ようやく「破壊」のことも理解され始めました。2016年にノーベル医学・生理学賞を受賞された大隅良典氏の「オートファジーAutophagy研究」もそう。大隅先生は、外部からタンパク質を吸収できない環境下で、生物が体内にある細胞内のタンパク質を自食していくメカニズムを明らかにしたのです。
Singularity is never here. AIは「パラパラ漫画」だが人間は違う。
「動的平衡」の考え方を理解することで、生物以外の現象、例えば、社会の見方が違ってくる予感があります。今回の著書では、芸術など異分野を取り上げられていました。「動的平衡」的な考え方をもつ先生には、いま社会がどう見ているのでしょうか。
福岡:近代社会は分断の社会です。あらゆる物事を分解・分断し、細かくなったピースに「名前」を着け、役割や意味づけをすることで、とにかくロジカルに理解しようしてきた。ロゴス(論理)を重視した社会であり、そのロゴス的思考の究極のものがAIなんです。
AIは「第3次ブーム」といわれるように、突然現れたものではありません。以前から人工知能はあったし、突然大きなイノベーションが起きたわけではありません。ロジックでつくられたアルゴリズムを超高速に廻し続けているコンピュータです。人間とAIが違うのは時間の捉え方です。AIの中で流れている時間は「点」でしかありません。蓄積された過去のデータをもとに、論理的に選んだ現在という点があり、さらにその現在も、過去のデータとなり、計算された最適な未来の(点)を捉えている。
「パラパラ漫画」ってありますよね。1枚1枚に微妙に変化をつけた絵を連続で見るとまるで動いているように見える漫画。アニメーションです。AIがみている世界がこのパラパラ漫画なんです。瞬間瞬間の一枚の原画を取り出し、そこに描かれた世界の因果関係や仕組みをロジカルに理解することはできます。ところが、自然現象や人間は「パラパラ漫画」じゃないんですね。ロゴス(論理)だけでは捉えきれないことが起きています。
先生はロゴスに対して、「ピュシス」(自然)という言葉を使っていますね。
福岡:はい。人間が捉えている時間は点ではありません。「過去」があるからこその「今」であることを理解しているし、数秒後を予想した上での「今」なのです。だから時間は点ではなく空間のような厚みがある。その空間の中に、過去も未来が入り込んでいるのが「今」なのです。
こうした厚みがある時間の中で、生き物は、創ること、そして自らを壊すことを同時にやっている。人間の脳の中も、矛盾したことを考えているし、まったく関係ないもの同士をつなげたりしている。決してロジカルではないんです。偶然もあるし、カオスなんです。
AIは今後も、「計算機」としての進化はあるでしょうし、それによって一部の仕事を代替することはできるでしょう。しかし、成り立ちが違う以上、人間のそのものを代替するものにはなり得ないのです。その意味で「シンギュラリティ」は来ない。「The Singularity Is Near」じゃないし、「The Singularity Is Here」でもない。「Never Here」なんです。
「種の保存」よりも「個人の自由」を優先する人間の行き着く先は?
我々Future Society 22では、未来の社会がどうなっていくのかをいろんな専門家の方々にお伺いしています。福岡さんは未来をどう見ていますか。もしくはご関心があるポイントはどこにありますか?
福岡:ベストセラーになった『サピエンス全史』、かつて岸田秀先生が言ってきたように、近代社会の人間は「社会」という虚構をつくりあげ、そのルールの中で生きるようになりました。それよりも大きな変化は、他の生物が「利己的な遺伝子」に従い、自らの種を残す目的で生きているのに対し、人間は種を残すよりも「個の自由」を優先するように生きるようになったことです。この「個の自由」を優先する社会が今後どうなるのか…。今後は人為的な努力も必要になっていくでしょう。社会学者ではないので、具体的なアプローチとなると手に余るお話ですが。
確かに、個の自由は、ほかの生物や病気など、外敵に襲われることなく、衣食住など安全的な環境が確保できたこそ成り立っている側面はあります。先ほどのシンギュラリティの話もそうですが、未来の話って技術の話題が先行し、人間社会そのものをどうしたいのか、という話題が少ないんですね。見えないがゆえに不安も高まり、どうしても暗い話に引き寄せられます。前回の対談でもありましたが、映画『ブレードランナー2049』のようなディストピア的な世界のシナリオにリアリティを感じる人たちも増えています。
福岡:人間そんなにヤワじゃないと思うんですが。
そうですね。「動的平衡的」な現象が細胞、分子レベルに留まらず、人間、コミュニティ、社会でもフラクタルに起きていると考えるならば、今後も、宇宙の「エントロピー」は増大し続けるし、人間社会でもいろんな次元で「破壊や分解」と「創造や合成」は繰り返されていく。人間社会では今後、格差問題が広がるかもしれないし、仕事の一部の仕事はロボットに奪われることがあるのかもしれません。でも、そうした不安定な状況こそが、次の社会や仕事を生み出していくプロセスとも捉えることができますね。悲観的に考え過ぎるのはいけませんね。
福岡:ええ。細胞と同じように人間は周囲の人たちとエネルギーも情報も物質もエントロピーも交換しあっています。その関係性が次のレベルであるコミュニティに影響を与え、さらに高い次元の「社会」にも影響しあっています。ですから、周りに壁を立てて、局所的な幸せや効率、富などを求めると結果的に高い次元では「損をする」「全体の不幸を招いている」という現象が起きるんです。これは、私たちに生物学が長い歴史を通じて教えてくれたことです。
種の保存が守られている状態においては、個人の自由の追求に意識が向く余裕がありますが、種の保存が守られなくなる危険性が出てくると、そうはいかなくなるのが必然。私たちが生物である以上、その本質的な法則は忘れてはならないですね。
「儚さと永遠」inspired by 「動的平衡」(柴沼俊一作)
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